【商品番号】1002 【商品名】手塚治虫直筆書簡 【サイズ】手紙170×243 【状態】美 【状態詳細】小ヤケ、小シミ 【最低落札価格】150,000円
【コメント】 手紙の受取人の平井氏は当時まだ学生でしたが、お読みになるとお分かりのように熱烈な手塚ファンでした。すでに何冊も単行本を出していた手塚ですからファンはいても当たり前なのですが、この平井氏は手塚にとって特別だったらしく、他にも自分の作品批評や漫画界の事情を色々聞いています。いわば最初の「手塚治虫評論家」だったといってもいいのかも知れません この時期(1949年・昭和24年11月29日)手塚治虫が「少年漫画同盟」なるグループを作っていたという事と、そのメンバーに東浦美津夫たちがいたこと、そしてなんとその中に田川紀久夫(本当は田川紀久雄のはずですが文中では「夫」になっています)がいたのです。田川紀久夫は当時手塚が「天才」といっていた漫画家ですが、それをさしおいて手塚がここで「13才の天才漫画家」といっている増田大山とは一体如何なる人物なのか探求すべき謎が次々と出てきます。 なお田川紀久雄はこの時すでに手塚と同じ年(昭和22年)にデビュー作「海底魔王」を出していて、この年(昭和24年)には代表作の「幽霊博士」を出しています。しかしこの時期から彼の持病である躁鬱病がひどくなり出し、いまだ正式に発見されていない「暗黒星」はその病ゆえに迷走の運命を持つ本となっています(詳細はまんだらけZENBU54号)(なお手紙の消印が非常に見づらく、文章中の各人の年齢などを参考にして消印と照合して年代特定してあります)
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