【商品番号】2001 【商品名】昆蟲手帳No3 【製作者】手塚治虫、林久男 【発行年】1943(S18) 【サイズ】77×117mm 【ページ数】80P(表2、3を含まず)内11頁白紙 【状態詳細】表1、表4スレ、ハゲあり、落丁ナシ 【最低落札価格】800,000円
【コメント】 その手帳は以下の手書きの文字で始まっていた
『Insect Memo-3 昆蟲手帳 No3 理學馬鹿士 林久男』
冒頭は手塚治虫に向けた昆虫(おそらく標本)の交換要請から始まっている。そして『2603 1 7 吹田にて 林久男記』で締めくくられ、続いて同じような要請が綴られています。(2603という数字は年号ですが、西暦ではなく皇紀(神武天皇を基準にした日本独自の暦で、その基準点は西暦より660年遡ることになる。つまりここに書かれてある2603という数字は、西暦の1943年(昭和18年)という事になります) その後手塚、林以外の第3の人物「今中」なる人物の名が出て来ています。
『「今中氏より借りた本」 透明人間 百万の目撃者 面白い ラインクジロー 未来の地下戦車長 ウンノ十三 本文は余り面白からざれども「氷河期の人間」面白し 「手塚氏より借りた本」 カトーマサヨの昆ヅフ 蝶の部2冊』
この後手塚治虫の肉筆本「甲虫圖譜」の紹介(広告)が載せられています。
『原色 甲虫圖譜 第一編 内容 小型甲虫ノ部 ハムシ科.テンタウムシ科 ホタル科.シデムシ科.ハンメウ科 ガムシ科.コメツキムシ科等 1942 1 11發行豫定』
奥付から見ますと実際に発行されたのは昭和18年1月15日になっていますからほぼ1年後に出ています(しかし手帳に記された1942年発行予定は、手帳そのものが1943年からの記載になっていますから、一寸疑問が残ります。)奥付を信用するなら、この手帳が出されたほぼ直後に「昆虫圖譜」が出ていますから、手帳に書かれたこの発行予定の文面は手塚治虫独特の演出だったのかも知れません。 そんな感じの書き込みが続きまして、林久男から手塚治虫への「切なるお願い」が全1ページにわたり書いてあります。文面からしますと今中氏に手塚治虫が図版本を描いたようでしたので、林久男も同じようなものを欲しがっているのでしょう。さらにここには「ヒゲオヤジ」の漫画、のちのアニメーションに繋がるようなパラパラ漫画の要請もしています。 手塚治虫の頁が始まり、再び林久男から手塚治虫に 「漫画ヒゲオヤジ有難うございます」という文章があります。よって「漫画ヒゲオヤジ」がこの時点で林久男の手のあったと思われますが、現時点で確認は出来ていません。
この後林久男の書き込みが続き、後半から手塚治虫の主にヒゲオヤジのイラスト漫画があります。 当時手塚治虫と親友同士だった林久男という人物は、後の手塚治虫の道筋を決定づける岐路にあたって重要な役目を果たしていたと位置付けてもいいかと思われます。 地球圏の生物、とりわけ昆虫というカテゴリーの中ではありますが、その多様性や哺乳類とのほぼ隔絶された有様などから、未知の生命への憧れや探求心を育み、手塚治虫というやがて来るべき漫画家時代に備えた器を育んでいったのです。
お互い知らず知らずの内に、手塚治虫という漫画家の未来を予感させるシーンが所狭しと詰まった内容の手帳になっています。 黎明期の手塚の研究資料にとって最重要アイテムであることは間違いないでしょう。
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