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[1801] 手塚治虫 直筆イラストサイン入り寄せ書き

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開始日時

2024/10/15 15:00:00

ライブ開始日時

2024/11/07 21:00:00

商品番号

1801

オークション形式

LIVE大オークション

入札単位 [詳細]

5,000

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商品説明

【商品番号】1801
【商品名】手塚治虫 直筆イラストサイン入り寄せ書き
【サイズ】680×680mm
【備考】折って保存、裏面書き込みあり
【状態】6
【状態詳細】折れ・シミ・小ヤケ・小ヤブレ
【最低落札価格】450,000円

【コメント】
1945年夏、手塚治虫が16歳のころのイラスト。この寄せ書きの所有者は手塚と共に通年動員に参加していた加納直宏氏で、中央に描かれた校章「六稜の星」からもわかるように、彼は旧制北野中学校4年時の手塚の同級生でした。
戦争の泥沼化による人手不足から、手塚たち北野中学4年の生徒の通年動員が始まったのは1944年9月のこと。彼らは翌年3月に1年前倒しで学校を卒業させられ、軍と産業に関係する進路を選んだ生徒は動員が免除されましたが、手塚や加納氏を含む一部の生徒は6月まで動員期間の延長が決定していました。当時のことは手塚の旧友による証言や物品が残っており、手塚が動員先にペンと墨汁を持ち込んで絵を描いていたことや、卒業に際して同級生一人一人に似顔絵を渡していたこと、例えば今回の品のような寄せ書きは金津博直氏の所有するものが現存しているほか、葛野兼一氏が撮影した当時の写真に、動員先の大阪石綿で手塚と加納両氏が写っているものも存在しています。
手塚自身も往時のことは漫画やエッセイなどで回顧しており、何よりもマンガを描くことに夢中だったことが主軸に語られますが、一方で作品を友人に読ませ、そこに生まれるコミュニケーションを通じて自らの社会的立ち位置を見出していたようにも読み取れます。特に、空襲で大阪の街が燃えて級友も亡くなってゆく、非人道的な戦争に怯えながら暮らす日々の中で、手塚の心身を守っていたのがマンガだったということ、戦争末期を描いた手塚の自伝的名作のタイトルの通り、マンガに関わるすべてが手塚にとっての「紙の砦」だったことが伝わってきます。
改めて今回の出品物に戻りますが、本品は手塚の同級生、加納直宏氏が戦後保管していたものです。敗戦が近づく1945年6月の空襲で工場が焼けて動員が終わり、最後まで参加した生徒には7月5日付の感謝状が渡されました。裏面の「昭和二十年七月四日請書名」というメモからも、この寄せ書きが動員の解散記念に書かれたものであることが想定できます。級友たちはこの寄せ書きに戦時中らしい勇壮な文言を書き連ねていますが、そこに手塚は3点のマンガ絵を描き添えました。1点目は下駄履きの弊衣に鞄を長く垂らしてタバコをふかす後ろ姿。こういったバンカラな気風が北野中にあったというのは手塚も追想している通りです。2点目は剣道用具。上述した動員先の写真でも加納氏は竹刀を持っており、級友の間で剣道が彼を象徴するものだったことが察せられます。3点目は学生服姿で闊歩する加納氏。足元の白いゲートルは旧制北野中学校の生徒のプライドの証ですが、戦争が激化するにつれて着用を禁止されました。それが動員の終わりに描かれるということに、自由を抑圧されたまま卒業を強いられた手塚たちの、ささやかな歓喜と級友への送別の想いが現れているように思えてなりません。
1945年7月1日、手塚は大阪帝大附属の医学専門部へと入学し、翌年元旦に漫画家デビューを果たします。戦時中に描かれた膨大な量の漫画やイラストは、その大半を戦災で焼失し、現存しているものはごくわずかです。今回の寄せ書きは、手塚の戦中を物語る希少な作品と言えます(山谷)

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