【商品番号】7001 【商品名】恐龍世界・箱付 【製作者】田川紀久雄 【メーカー】関西図書出版社 【発行年】1949(S24)12.20 【サイズ】B6上製 【ページ数】96P 【備考】オール2色 【状態】美 【状態詳細】箱小イタミ、本体背上下各1cm欠け、見返し小欠け補修跡 【最低落札価格】800,000円
【コメント】 田川紀久雄8作目の作品です。(「暗黒星」が確認されると、9作目になります) 「海底大魔王」のデビュー作から始まり、「飛行星」「幽霊船」「人造人間」等々僅か2年で次々と単行本を発刊していき、前作の「幽霊博士」では、その人気を不動のものとしています。それ故その次の作品となるこの「恐龍世界」は箱付きの上製本として出版されています(遺作となる次作の「怪星襲来」も同じく箱付きの上製本になっています・ただこの箱付きの「怪星襲来」は5作目の「怪星襲来」を上製本にしたものと思われます)。 このことから当時いかに田川紀久雄の人気があったか、また読者ばかりでなく、出版社としても特別待遇までいかなくても、優遇くらいの対応はしていたようです。 田川が登場してきたときは「すわ!手塚の再来か」と出版社サイドも沸き立ったことでしょうが、如何せん下記の理由により彼の作家生命は僅か2年余となったのです。
この後に出した「怪星襲来」で絶筆となってしまうのですが、その詳細は「まんだらけZENBU」の前身目録「まんだらけ」18号で詳しく書いてありますように、作者自身の精神的な病により既にこの作品の前から大きな影響が出ていたのです。
作者の特徴は当時の最新科学における知識というよりは、もう少しくだけた科学的なイデオロギーのようなものに傾倒していたことです。 当時の学問は今日の科学の基礎になる量子力学や数学、地球物理、天文科学の黎明期のような活況を呈していた時代でした。 専門的な数学、科学知識はなくても、その風潮といいますか、時代の温度を感じる感性は持っていました。 そこが戦後の新しい漫画を求める読者や、出版社に歓迎されたという事はあったのでしょう。
田川紀久雄の作品を見ていますと、一貫して共通する彼の漫画の描き方があります。 それは「登場人物がシンプルで洗練されていない」という事があります。 端的にいいますと「雑」という事もいえるでしょう。 半面、背景の建物や様々な構造物、作品に登場する怪物たちなどは彼の画歴からしても、とてもよく描かれています。ただキャラクターに関してはデッサンが未熟で、ほとんど勉強はしていなかったのではという位その格差は歴然としています。 そこには彼の精神性が如実に現れているのですが、それは「人間に興味がない」「関心が薄かった」という事、ハッキリいいますと「人間嫌い」という事がいえるかも知れません。 それが彼の持病である鬱病故なのか、人間嫌いだから鬱になっているのかは不明ですが、作者は人間というキャラを追求しようという意図が薄く、世界の構造や謎の部分に集中して焦点を当ててしまっています。
もちろんそれは高校生でデビューしているという事もあるでしょうが、もし彼がこの後も創作活動を続けていたら、いつかは「人間性の追求」という壁に当たっていたかも知れません。
いずれにしましても戦後漫画界における非常に重要な漫画家であることは確かで、当時の手塚治虫、モリミノル(小松左京)等と並ぶ赤本漫画家であったことは間違いありません。 この「恐龍世界」は既に「恐竜時代」という上製本で復刻されていますから、内容はご存じの方もおられるでしょうが、重要なのは、おそらく完品の現存冊数が2冊か3冊という非常にレアな本になることです。 手塚治虫という著名な漫画家ではなかったのにも関わらず(ほとんど知られていなかった)生き残って来た本としての生命力や、書影はもちろん、希少な箱や中扉のデザインの「書籍」そのものが持つ価値、時を経て醸されるアンティークとしての価値なども、コレクターの嗜好を満足させるに充分すぎる要素を持ち合わせています。
田川紀久雄は1950年(昭和25年)に「怪星襲来」を出してその作家生命を絶っています。ただこの最後の単行本、箱付き「怪星襲来」が5作目の「怪星襲来」の再版だとしたら、「恐龍世界」が実質的な遺作となります。 とにかく田川紀久雄に関しましては、ほとんど研究はされておらず、松本零士氏や研究家の榎英夫氏が僅かにその消息を語っておられるだけです。
今回出品の「恐龍世界」は状態もよく、ここまでのものが市場に出るのはこれが最後かもしれません。 手塚治虫や松本零士・小松左京などが絶賛した、赤本時代に流星の如く登場し消えて行った天才の稀覯本です
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